No man is an island

ここ何年かは新文芸坐でひとり『スモーク』を観るという最高にセンスのいいクリスマスの過ごし方をしている。人生で最も繰り返し観ている映画の一つだ。毎回、泣くポイントが増えていて、今年は、写真に映り込んだ妻を見つけたポールに煙草屋のオーギーが「ああ、彼女なら他の何枚かにも映ってる」と声をかける場面。この人は、当人にそれを見せるより前に、友達の死んだ連れ合いの姿を自分のアルバムの中に見つけて、どんな気持ちでいたんだろうと思うとボロボロと泣けてしまった。

もうひとつ定期的に観たくなる映画が『アバウト・ア・ボーイ』で、今回はたまたま間を空けずに観たものだから2作に共通しているものが多いことに初めて気づいた。まずはクリスマス・ムービーってことなんだけど、加えて「中年男性の生活がティーンエイジャーとの偶然の出会いによって乱される」という要素。ご丁寧に、「あなたのような中年男が部屋に少年を連れ込んで何を?」と、あらぬ誤解をする女性キャラクターの台詞もかぶっているのだけど、確かに好きな映画2作を挙げた時に、共通点としてそこを指摘されるとかなり気まずいことになりそうだ。しかも俺ゲイだし。ただ「そういうことが自分に起こってほしい」とどこかで望んでいることは否定できない。独身を長くやってると何かしら外部からの力を受けないと生活がパターン化していくのを止められないのだ。

初めて『スモーク』を観た大学生の俺は、助けを必要としている若い人間に惜しまず手を貸せる、劇中の作家ポールみたいな大人になりたいと思った。もっと素敵なのはネタ切れの友だちのために嘘かもしれないクリスマスストーリーを語れるオーギーだということには気づいていなかったけど。

2002年の公開時に20代だった俺にとって、ヒュー・グラント演じる主人公の独身貴族ウィルは(セクシュアリティや経済的環境は別として)10年後の自分みたいに見えた。今やウィルより10歳以上年をとった俺は知ってる。ラシードやマーカスはそうそう現れないんだよな。