PERFECT DAYSをみた

こんな風に生きていけたなら、じゃないんだよ。

独身中年としては、役所広司演じる主人公の平山の孤独が自分ごととして身につまされて仕方なかった。選んだ孤独は良い孤独だとでも?

レビューを見ていて絶賛する人が多いことに気が滅入る。確かに、東京の東側を捉える、どこか湿り気を帯びた眼差しはさすがヴェンダースだけど(そう、画は素晴らしく良かった)この映画、思想的にはかなり問題があるよ。すでにたくさんの人が語っている通り、「清貧」を他人事として美化する偽善も、この作品を成立させているのがよりによって電通ユニクロという大資本だという構図も、たまらなく気持ち悪い。「持てる者」が安全圏から一歩も出ずに、称揚の身振りを借りて「持たざる者」を突き放し、他者化する。こんな醜悪なことがあるか?気になったことを記録しておこう。順不同。

▶︎平山の無口さが不自然なほどに選択的で一貫性がない。愛想いいのか悪いのかどっちなんだよ。

▶︎「底辺」とみなされることも多い仕事に従事する人物を描きながら、その仕事のネガティブな面を「本当には」(ここ重要。描いたふりはしてる)描けないという、企画の成立背景ゆえの構造的な矛盾を解決する力技として脚本が持ってきたのが、平山がもともと資産家の出だという設定。つまり、この人は「そうせざるを得ないから」トイレ掃除をしているわけではないと。言い訳がましいとはこのこと。この社会に差別はあっても搾取はないと、ワタシタチハ誰モ傷ツケテハイナイと、そう言いたいわけですね。

▶︎そういう人は、現実にもいるだろう。けれど誰かを主人公に据えることは暴力になり得ると、作り手は分かっているはずだ。

▶︎あの姪っこ、脚本都合でいい娘すぎる。あの年頃の女子がトイレ掃除手伝うか?

▶︎平山には、人に(姪に、職場の若手に、石川さゆりにw)敬愛の念を抱かせるチャームがある。それはいい。けど、その時点で彼は相当にラッキーな人間だよ。実は「持たざる者」ではない。

▶︎妹が家督を継いで金持ちなのはいいとして、運転手付きってさすがに現実感がない。東京の金持ちに対する解像度が低いんだよ。日本人、そうそう肉親にハグしないし。ヴェンダース先生に誰も何も言えなかったんだね。

▶︎「パティ・スミスを聴いて、これいいねって言う」「急に頬にキスしてくる、髪ブリーチした若い娘」って!サブカルジジイの欲望ダダ漏れじゃないですか・・・

▶︎だいたい、パティ・スミスが女神だった世代、70年代のロックを絶対視しすぎなんだよな。いや、ポップミュージックなんてそんなもので、俺だって爺さんになっても90年代ブリットポップ聴いているだろう。けど、その時の若い子にその良さを分かってもらって嬉しいとは思わないな。

▶︎客の選んだ本に対していちいち気が利いた風の寸評をのたまう古本屋、うっとおしすぎる。俺ならあんなことされたら二度と行かねえ。

▶︎キャスティングの「どや」感。「正解」を叩き出してずっと褒められてきた人の仕事っぽい。