Go easy, step lightly

先週の戸田競艇はちょっとおかしいツキ方だった。ボックス一通りしか買ってないのに7レース中4レース当たった。これで大したアドレナリンが出ないんだから俺にはギャンブラーの血が流れてないんだと思う。

今週はずっと、もう何年も聴いていなかったクラッシュをひたすらリピート。10代の気持ちになる。若いときは皆シド・ビシャスに憧れるけど、本当はジョー・ストラマーの方がカッコいいんだよな。さらに言えば、禿げて太ったミック・ジョーンズがニコニコとStay Freeを歌う動画を見つけて泣きそうになってしまった。生き残ったモン勝ちだ。

PERFECT DAYSをみた

こんな風に生きていけたなら、じゃないんだよ。

独身中年としては、役所広司演じる主人公の平山の孤独が自分ごととして身につまされて仕方なかった。選んだ孤独は良い孤独だとでも?

レビューを見ていて絶賛する人が多いことに気が滅入る。確かに、東京の東側を捉える、どこか湿り気を帯びた眼差しはさすがヴェンダースだけど(そう、画は素晴らしく良かった)この映画、思想的にはかなり問題があるよ。すでにたくさんの人が語っている通り、「清貧」を他人事として美化する偽善も、この作品を成立させているのがよりによって電通ユニクロという大資本だという構図も、たまらなく気持ち悪い。「持てる者」が安全圏から一歩も出ずに、称揚の身振りを借りて「持たざる者」を突き放し、他者化する。こんな醜悪なことがあるか?気になったことを記録しておこう。順不同。

▶︎平山の無口さが不自然なほどに選択的で一貫性がない。愛想いいのか悪いのかどっちなんだよ。

▶︎「底辺」とみなされることも多い仕事に従事する人物を描きながら、その仕事のネガティブな面を「本当には」(ここ重要。描いたふりはしてる)描けないという、企画の成立背景ゆえの構造的な矛盾を解決する力技として脚本が持ってきたのが、平山がもともと資産家の出だという設定。つまり、この人は「そうせざるを得ないから」トイレ掃除をしているわけではないと。言い訳がましいとはこのこと。この社会に差別はあっても搾取はないと、ワタシタチハ誰モ傷ツケテハイナイと、そう言いたいわけですね。

▶︎そういう人は、現実にもいるだろう。けれど誰かを主人公に据えることは暴力になり得ると、作り手は分かっているはずだ。

▶︎あの姪っこ、脚本都合でいい娘すぎる。あの年頃の女子がトイレ掃除手伝うか?

▶︎平山には、人に(姪に、職場の若手に、石川さゆりにw)敬愛の念を抱かせるチャームがある。それはいい。けど、その時点で彼は相当にラッキーな人間だよ。実は「持たざる者」ではない。

▶︎妹が家督を継いで金持ちなのはいいとして、運転手付きってさすがに現実感がない。東京の金持ちに対する解像度が低いんだよ。日本人、そうそう肉親にハグしないし。ヴェンダース先生に誰も何も言えなかったんだね。

▶︎「パティ・スミスを聴いて、これいいねって言う」「急に頬にキスしてくる、髪ブリーチした若い娘」って!サブカルジジイの欲望ダダ漏れじゃないですか・・・

▶︎だいたい、パティ・スミスが女神だった世代、70年代のロックを絶対視しすぎなんだよな。いや、ポップミュージックなんてそんなもので、俺だって爺さんになっても90年代ブリットポップ聴いているだろう。けど、その時の若い子にその良さを分かってもらって嬉しいとは思わないな。

▶︎客の選んだ本に対していちいち気が利いた風の寸評をのたまう古本屋、うっとおしすぎる。俺ならあんなことされたら二度と行かねえ。

▶︎キャスティングの「どや」感。「正解」を叩き出してずっと褒められてきた人の仕事っぽい。

年の瀬ナニワ欲望旅行

北欧館がない大阪なんて。

というわけで関西への帰省はやめて東京で年越しを迎えることにした。40を過ぎたゲイにとって実家や親戚の集いはストレスでしかない。親の家で過ごす気詰まりな時間の前には、ひたすら自堕落な1〜2泊の一人旅がないとバランスがとれないのだ。雑煮だのささやかなお節料理だの、自宅で過ごす正月の準備もここ数年で何となく形が定まってきたし、と同時に、旅欲・食欲・性欲を意地汚く満たして過ごす年末はこれから少なくなっていくような気がするので、記録しておこうと思う。

まず新幹線に乗ることが一定のテンションアップを約束してくれる。東京駅の崎陽軒で弁当を、ディーン&デルーカでおつまみを、そしてホームで酒を買い込んで自由席の窓側に陣取れば最高に快適なひとり宴会の始まりだ。人に言うと呆れられることもあるが、何ならこだま号で4時間のんびりと。その場合、掛川あたりで酒が切れるのでホームの売店で買い足す。そんなことやっていたら新大阪に着く頃には立派な酔っ払いの出来上がりだが、旅はこれから。

地下鉄御堂筋線で動物園前まで南下、夕暮れ時の簡易宿泊所にチェックイン。荷物を部屋に置いて、ビリケン様が通天閣から見守る新世界に繰り出す。年々行列がひどくなる有名串カツ屋が並ぶジャンジャン横丁を抜けて「ぜにや」で一杯、「大興寿司」で握りをつまんだら腹ごしらえは完了。

御堂筋線で今度は北上、梅田は北欧館。全力稼働しているヒーターのせいで乾燥しきった空気に肌と喉をヤラれそうになりながら、ごにょごにょとアレやコレ。セックスはピザに似てる、いいやつは旨いし、よくないやつもまあまあイケる。という品のないことわざがアメリカにある。いや、ことわざではないけど、そういう言葉があるの。

下半身が軽くなったら、千日前のおでん屋「でん」に腰を落ち着ける。ここのカウンターでTVの年末特番をよく観たっけ。日付の変わる頃、宿に戻り缶チューハイで仕上げ。当時、深夜に放送されていた「ドキュメント72時間」の総集編をぼーっと見たりして、あれは悪くなかったな。

朝食は動物園前商店街や新世界でモーニング。喫茶店のハシゴや、朝からやってる銭湯で時間を潰して昼時になれば、新梅田食道街「新喜楽」の鴨鍋や千日前の「天政」のきざみうどんを堪能。千日前「正宗屋」なら湯豆腐はマストだし、「松葉」で串カツに食らいつけば阪神梅田にあった立ち飲みスペースのことをいつまでも懐かしく思う。

すっかり空気が緩んだ昼間の北欧館も味わいがあるけど、せっかくなら前夜とは河岸を替えて新世界のロイヤルで遊ぶのもいい。そんな日は新世界、新今宮界隈から一歩も出ない。昼飯は「佐兵衛寿司」で決定だ。

猥雑で脂っこくて後ろめたい愉しみにまみれた旅を東京で思い出す一年最後の日。新年もきっと煩悩だらけだ。

No man is an island

ここ何年かは新文芸坐でひとり『スモーク』を観るという最高にセンスのいいクリスマスの過ごし方をしている。人生で最も繰り返し観ている映画の一つだ。毎回、泣くポイントが増えていて、今年は、写真に映り込んだ妻を見つけたポールに煙草屋のオーギーが「ああ、彼女なら他の何枚かにも映ってる」と声をかける場面。この人は、当人にそれを見せるより前に、友達の死んだ連れ合いの姿を自分のアルバムの中に見つけて、どんな気持ちでいたんだろうと思うとボロボロと泣けてしまった。

もうひとつ定期的に観たくなる映画が『アバウト・ア・ボーイ』で、今回はたまたま間を空けずに観たものだから2作に共通しているものが多いことに初めて気づいた。まずはクリスマス・ムービーってことなんだけど、加えて「中年男性の生活がティーンエイジャーとの偶然の出会いによって乱される」という要素。ご丁寧に、「あなたのような中年男が部屋に少年を連れ込んで何を?」と、あらぬ誤解をする女性キャラクターの台詞もかぶっているのだけど、確かに好きな映画2作を挙げた時に、共通点としてそこを指摘されるとかなり気まずいことになりそうだ。しかも俺ゲイだし。ただ「そういうことが自分に起こってほしい」とどこかで望んでいることは否定できない。独身を長くやってると何かしら外部からの力を受けないと生活がパターン化していくのを止められないのだ。

初めて『スモーク』を観た大学生の俺は、助けを必要としている若い人間に惜しまず手を貸せる、劇中の作家ポールみたいな大人になりたいと思った。もっと素敵なのはネタ切れの友だちのために嘘かもしれないクリスマスストーリーを語れるオーギーだということには気づいていなかったけど。

2002年の公開時に20代だった俺にとって、ヒュー・グラント演じる主人公の独身貴族ウィルは(セクシュアリティや経済的環境は別として)10年後の自分みたいに見えた。今やウィルより10歳以上年をとった俺は知ってる。ラシードやマーカスはそうそう現れないんだよな。

桂米朝と奥田民生が同じことを言っている件

桂米朝作の落語「一文笛」が好きだ。盗人がこれまでの行いを悔い改めて裏稼業から足を洗ったかと思いきや、貧乏人の子どもを救うために最後のひと仕事。オチの台詞「わい、ぎっちょやねん」がたまらなく良い。善と悪というか聖と俗というか嘘と真というか、相反する要素の境界線をかき乱すような、いや初めからそんなところに線はなかったと気づかせてくれるような、落語的としか言えないバランス。

「息子」を聴くたびに終盤の歌詞にハッとするのも同じ理由だと思う。具体的な事物と抽象的な観念、人間の汚いところと美しいところを一見無頓着に並べ、それが力強い生の肯定になっている極上の表現。一生のうちにこんなものが一度でも書けたら!

そうだ あこがれや 欲望や 言いのがれや

恋人や 友達や 別れや

台風や 裏切りや 唇や できごころや

ワイセツや ぼろもうけの罠や

(「息子」奥田民生

 

私たちに出来なかったことを とても懐かしく思うよ

業界のパーティーで、最初の会社で同期だった男に会った。某社でなかなかのポジションに就いてることは風の噂で知っていた。へえあいつがね、と言われがちなやつだ。

これまでに勤めた4社全ての人間がその場にいた。我ながら効率よく転職してきたものだ(狭い世界で渡り歩いてきたとも言えるが)それなりに上手くやってる方だと思うが、あいつみたいに役員まで行くのはまあ無理だ。それを分けるのって何なんだろうな。

また太ったかという俺に、お互いな、とあいつは答えた。なあ俺お前のこと昔ちょっと好きだったんだぜ。