Son of Rage and Love (グリーン・デイとわたし)
2025年グリーン・デイ来日、参加できて本当によかった。 興奮の冷めないうちに、気恥ずかしいことを書いておこう。ビリーは俺のヒーローだ。あるいは憧れのイトコのお兄ちゃん、あるいはいつまでも可愛がってくれる地元の先輩。そんなキャラ、俺の実人生にはいなかったけれど。
Dookieのリリース直後、1994年3月の公演を北米某都市の小さなライブハウスで観ているのが俺の密かな誇りで、それ以来の対面になった。しょうもない古参アピール、何なら老害発言になりかねないので相手と言い方には気をつけなくてはいけないが、俺が向き合うべきはむしろ、その後いくらでも機会はあったのに、ライブ参戦していなかった自分の怠惰のほうだ。まったく情けない。ぼんやりしてるとすぐに死んじゃうぞと言いたい。事実、あれから今日まで、あっという間だった。30 years have gone so fast.
2022年ガンズ&ローゼズ来日では泣いたし、今年秋のオアシスも光の速さで抽選を申し込んで落選した。彼らのことは大好きだけれど、自分の世代にとってはもう一般教養のようなもの。「みんなの」ガンズであり「僕らの」オアシス。グリーン・デイは「俺の」なんだ。
90年代前半、グランジやオルタナの時代。北米の郊外都市でスクールカースト最下位の高校生活を送っていた自分は、周りで人気のバンドに乗り切れないことが多かった。いくらオルタナティブ(つまり旧来のロックカルチャーとは異なる価値観や美学)を打ち出していても、アメリカのバンドにはどこかマッチョな精神性を感じてしまっていたのだと思う。人種的マイノリティとして必死に生きるティーンエイジャーの「こじらせ」の反転かもしれない。グリーン・デイは違った。
当時まだ自分の性的指向に自覚的な段階ではなかった俺にも、ぼんやりとした不安みたいなものは常にあって、早いうちからビリーがセクシュアリティについてリベラルな発言をしていたことも無関係じゃなかった。今回も、”Do you wanna be my girlfriend / boyfriend”と叫びながら「俺たちのことも歌ってくれてありがとう」と感じずにはいられなかった。
彼らがノスタルジーだけで愛される程度のバンドじゃないのは明らかだ。90年代にブレイクした面子のうち、ここまで現役感のあるアーティストがほかにいるだろうか?残るべくして残っているんだと思う。今となっては個人的にDookieよりも思い入れのある、そして一般的にも名盤として評価されているAmerican Idiotがリリースされたころ、俺はもう20代後半。メジャーデビュー作でI declare I don’t care no moreと叫んだ悪ガキは10年後、孤独を背負う魂の痛みを世界中の夜に向けて歌う詩人になっていた。出会いから30年を経て俺がグリーン・デイを聴くのは、ビリーが書く、誠実で普遍的な歌詞に今でも救われているからだ。
誰もいない通りをひとりで歩く
どこに辿り着くのか分からないけれど
この道しか知らないし 俺の居場所はここしかない
破れた夢の名がついたこの通りで
眺める街は深く眠り
見渡す限り誰もいない
ひとりで歩く
ひとりきりで歩いていく
見えるのは自分の影だけ
聞こえるのは自分の鼓動だけ
誰か俺のことを見つけてくれと祈りながら
今はひとりでこの道を歩いている
俺の歩みが刃になり心を切り裂く
足を踏み外せば落ちそうだ
この道はどこまでも境界線
すべてがもうダメだという諦めと
何とかなるはずという希望のあいだ
絶えず振れる思いを抱えて
まだ生きてると確かめたくて脈をとる
ひとりで歩く
ひとりきりで歩いていく
目をこらしても自分の影しか見えない
耳をすませても自分の鼓動しか聞こえない
俺のことを誰か見つけてくれないか
それまでひとりでこの道を歩いていくから
(Boulevard of Broken Dreams 試訳)
如月雑感
Shit happens。今回の失業騒ぎにまつわる自分の感情をポジティブに表現するなら、この言葉だ。生きてりゃクソみたいなことも起こる。事故だと思って諦めるんだ。
これと対義語になるフレーズがEverything happens for a reasonだとネットで見かけた。すべての出来事には意味がある。
でもこの二つって、同じことだと思うんだよな。受け入れ難いことが起こるのは止められない。俺のせいじゃない。でもいつか、いつかは、その意味が分かる日がくる。そう信じるしかない。
アインシュタインの格言を思い出す。いわく、「生き方には二つしかない。すなわち、”すべてが奇跡であるかのように生きる”か、”奇跡など一つもないかのように生きる”か」ーーどうせなら前者のように考えようぜと、ポジティブシンキングを称揚する解釈が多いようだが、これも、同じひとつの真理を両面から語っているにすぎないと直感的に思う。その大いなる矛盾が、生きることの面白さだ。
アラフィフで言うことじゃないが、俺は「物事は思うようにならない」ということを、深く理解しなきゃいけない気がする。
2024−2025失業日記
決してハッピーな出来事ではなかったけれど、俺の退屈な人生を映画化するならば間違いなく見せ所のひとつにはなるはずの今回の体験。記録のために書き起こしておこう。
10月:レイオフを告知される。急いで旧知のエージェントや、これまでの勤務先で世話になった元上司、先輩たちに相談。この頃、今から思えばまだ楽観的だった。勤務が終了する11月末までには内定を得て気持ちよく去りたかったし、実際なんとかなると思っていた。
11月:ひたすら通らず落ち込む。TP社は書類でスルー、AA社、A社、R社はマネージャー面接止まり。その他書類非通過多数。次が決まらない状態で最終勤務日を迎える。
12月:給料は出るが就業は免除。I社の面接が好感触。ここなら条件も業界内ステータスも現職超えだと勢いづき、プレゼン面接準備に精を出す。T社で最終面接行けず、I社は年始まで保留との連絡、雲行きが怪しい。いよいよ1月中の完全無職が確定、さらに年末年始の宙ぶらりん状態が耐えられず、メンタルがガリガリと削られる。
1月:月初、I社の見通しに期待が持てず、精神状態は最悪。心療内科で睡眠改善薬と安定剤をもらう。I社はやはり不採用となり、12月に内定をもらっていた企業に決める。中旬に帰省し両親に報告。
ここからは、今回の顛末で抱いた雑感を記録しておく。大切なのは、何が起こったかじゃない、何を考えたかの方だ。
◆メンタル強い方だと思っていたが全然違った。保留状態が続くのが耐えられない。収入が多少下がっても、雨宿りがどうしても必要だった。稼ぎをまた上げたいならば、新しい職場で知見や経験を積みながら、また次を考えればいい。少し前に本で読んだネガティブ・ケイパビリティという概念が大切になりそうな予感がする。
◆過去の上司や先輩に会ってもらえるだけでありがたかった。お前なら大丈夫だと皆言ってくれたのも心強かった(自分でもそれなりにあった自信が崩されていくことこそが辛かったのだけどそれは別として)
◆身も蓋もない話、それぞれの業界で稼げる椅子の数は決まっている。そこに座れるか、座っていられるかは、ほとんど運だ。負け惜しみに聞こえてしまうのが悔しいが、個人の力はあまり関係がない。
◆私生活はともかく、キャリア上は相当に恵まれてきた。なんだかんだと言って、ブランド感のある企業で、名前の通りの良い商材を扱う、そこそこ花形的ポジションでやってきた。これまでが順調すぎただけだ。我ながら俗物だと思うが、知名度の低い企業で地味な仕事をすることに抵抗がある。再就職支援のコンサルタントに言われた「ステージが変わる」ということを意識していきたい。
◆プライドは俺のエンジンでアキレス腱だ。一時期はボロボロになったが見事ステップアップになる転職ができたと旧友たちに誇らしげに報告することを想像して(いや、実はメッセージの下書きまでしていた)気持ちの支えにしていた時期もある。実際には、ステップアップとは言いにくく、何とか決まったけれど辛かったと、それでも少しカッコつけながら打ち明けた。それでいいんだ。
◆近くにいてくれた人たちへの感謝を忘れずにいよう。Yには当初話しづらかったが、友人として寄り添ってもらった。Kは年末の一番辛い時に泣きついた俺を家族の年越しに加えてくれた。彼らと過ごした時間の記憶はこれからの俺を温め、歩みを進める力になると信じている。
なにわ2025
大阪は昼飲みに優しすぎる。
隣のおっさんが買わなかった馬券について永遠に話している。
俺もあきらめてビールをお代わりする。

Like the brightest star
ヘドウィグを観てきた。
あれはきっと僕らがふたつに分かれた日/僕らは互いを見つめ合う/血まみれの目に映る血まみれの顔が/なぜだかひどく懐かしい/君が誰かは知らないけれど/ひとつだけ確かだった/君が痛みを抱えていて/それが僕の痛みと同じだってこと/心を突き刺すこの痛みを/愛という名で呼ぼう

フィナーレにしてアンセム、Midnight Radioの歌詞のyou're doing all rightをこれまで、字幕の影響もあり、「あなたたちは正しい」と理解していた。けれど三上ヘドウィグが客席に放った言葉を忘れないーー大丈夫だから。俺大丈夫かなあ、大丈夫だよね。