桂米朝と奥田民生が同じことを言っている件

桂米朝作の落語「一文笛」が好きだ。盗人がこれまでの行いを悔い改めて裏稼業から足を洗ったかと思いきや、貧乏人の子どもを救うために最後のひと仕事。オチの台詞「わい、ぎっちょやねん」がたまらなく良い。善と悪というか聖と俗というか嘘と真というか、相反する要素の境界線をかき乱すような、いや初めからそんなところに線はなかったと気づかせてくれるような、落語的としか言えないバランス。

「息子」を聴くたびに終盤の歌詞にハッとするのも同じ理由だと思う。具体的な事物と抽象的な観念、人間の汚いところと美しいところを一見無頓着に並べ、それが力強い生の肯定になっている極上の表現。一生のうちにこんなものが一度でも書けたら!

そうだ あこがれや 欲望や 言いのがれや

恋人や 友達や 別れや

台風や 裏切りや 唇や できごころや

ワイセツや ぼろもうけの罠や

(「息子」奥田民生