手に入らなかったものを諦める方法は3つある

まずはお前の心を動かしたものに向き合い、対象化し、言葉にすること。そうだ、目がキレイだったな。お前の好きなタヌキ顔だ。テーブルの向こうに座るなりスウェットを脱いだ上半身はそそったよな。ひとけのない場所に行きたがると思えば急に肩に腕を回しキスしてきやがったな。けど「そんなにがっつくな、ゆっくり顔が見たい」と求めたお前にあいつはどうした?見つめ合うのは苦手だと言って目を逸らしたんだよな。

そう、次は合理化、いわゆる酸っぱい葡萄だ。お前もそれだけ長く生きてりゃ分かるだろ、あの一見卓越したコミュ力は何らかの欠損の裏返しだ。ああいう奴は付き合ったって苦労するだけ。歳の差がありすぎる。お前自身が傷つくのは目に見えてる。深入りする前にフラれてよかったじゃないか。

3つめは、その通り、時間だ。傷を瘡蓋にできるのは時間だけだよ。分かってるだろ。

世界一短い恋の始まりと終わり

ある公演を観るために仕事を早く切り上げて駅に向かうと自宅前の幹線道路で大柄でメガネ、分かりやすく俺のタイプな男の子と目が合い、もしかして向こうも俺に気がある?って誤解するには充分な長さの見つめ合いが続いたから10歩ほど過ぎて振り向けばスマホをいじってる相手が見えて、まさかねとゲイアプリを開くとピコンとイイネをくれたのは今のカワイコちゃん、こんなことってあるんだなとニヤニヤしながら駅のホームからメッセージを送るやいなや「僕もいいなと思って見てました」てなこと言うから運命じゃね?なんて一人ごちながら電車を乗り継いで劇場に着く頃にはすっかり内心で会う算段をつけて改めてアプリのプロフで職業、趣味、行動範囲、性的ポジションを把握、ついでに念の為ってツイッター現エックスに飛んだら🐜の絵文字(パートナー「あり」の意味、こっちの界隈で)が目に入りゲームオーバー、この間1H。

To remember how good you looked

(2023/11/18, 19 Manic Street Preachers & Suede @Zepp Haneda)

James Dean Bradfield. Brett Anderson. You are my heroes, you and everyone in the bands. Have always been, will always be. Thank God you kept playing. You made me who I am today.

出会った90年代初頭から30年。彼らの音楽をまた生で聴けるなんて。ここ何年かでいちばん幸せな二晩だった。

 

・まずコラボアイテムのスローガンのスマートさ!Stay Beautiful/Beautiful Ones. 2組の名曲を上手く組み合わせて、今だからこその輝きを放つ言葉になってる。

 

・1日目、Manicsがオープニング。記憶よりずっとずんぐりした姿のジェームズ、相変わらずのファッションセンスのニッキーに、ドラマーは・・・え?あれがショーン??とは思ったw

・ニッキー(1日目):4歳の頃から50年以上一緒にいる俺のギターヒーロー、とジェームズを紹介。何だよそれ、泣かせる。

・ニッキー(2日目):札幌の思い出はベイクドポテトが美味かったことらしい。ジャガバタ?と思う間もなく、次は、Beautiful, intelligent boy who was always with us に捧げるとリッチーの名前を言ってLittle Baby Nothingに入る。何だよそれ、泣かせる。ていうか泣いた。

・ジェームズ(1日目):今の俺のメインの白いギター、東京で買ったからTokyoって名前にしたんだ、とめちゃ嬉しそう。可愛すぎる。ああこの人はどこまでも真っ直ぐなんだと思う。

・ジェームズ(2日目):客席に見つけたウェールズ出身グループをいじる。当意即妙に切り返すパンクないでたちの女性がGJだった。

・This is Yesterday:客に歌わせるとこで、我ながらいい声が出た。ジェームズにBeautifulと言ってもらえた(いや、客席みんながね)

・Design For Life, Enola/Alone:一気に19歳に戻る。大学に入ってすぐの、楽観と不安の入り交じった1996年の気分にごっそりと。夜空ノムコウじゃないが、俺の心のやらかい場所を今でもまだ締めつける。

・初期衝動の1st、手数が増えた2nd、ギスギスに張り詰めた3rdも好きだけど、Everything Must Go, This is My Truth...のメランコリックに振ったあたりがたまらなく沁みる。

・From Despair To Where:クリーンなギターのイントロ、ワンコードで分かる。

・1994年のロンドン(ちなみにリッチーのラストステージ)でも、1996年のトロントでも、1999年の赤坂でも観ているけど(間の20年何してたんだ俺は)今回が一番よかった。一番よかったよ!

・ここで年を調べた。すげえなこれ・・・

https://www.setlist.fm/

 

Suedeは、ギターのリチャード以外太っていないのがほんとすごい(いや、彼だって年相応なだけであれくらい当たり前だ)

・あなたいくつだよ。なんであの頃と変わらず飛び跳ねて腰振ってケーブルびゅんびゅんさせてマイク振り回してんのよ。

・ブレットあんたは化け物だ。時々トム・クルーズに見えた。何かというと舌を出すのがチャーミング。

・セトリのプレイリストで気づいたんだけど、Drowners > Trash > Animal Nitrate > We Are the Pigsのくだりはあかん。アンセム致死量。

・Drownersで。ブレットがフロアに降りてきた。ブレット!アンダーソンが!!客席に!!!降りてきた!!!!目の前に!!!!!

・冷静に考えたら、「獣になって兄弟とサカリ合う」ってな歌詞、いい大人が歌っちゃダメ。

・ブレットの締めの挨拶は2日とも、You, have, been, so beautiful! でした。

 

・アンコールはなし。両バンドとも、完璧な構成を見せてくれたから文句はない。

・シンガロングな初期楽曲と、聴いてはいるけど歌詞は覚えてねえなあ、って曲と、多少はテンションが違ってしまう。ステージからもハッキリと分かるんだろうな。そんなこと百も承知で、プレイし続けてくれて、ツアーしてくれて本当にありがとう。

・両バンドとも大事な時に主要メンバーを失って…というコメントを見かけた。確かに、ここにいない二人のことが頭をよぎらなかったオールドファンはいないはずだ。一方で、リッチー失踪後にEverything Must Goという、バーニー脱退後にComing Upという、ネクストレベル級の名盤が生まれたことも間違いない。必要な喪失だったとはとても言えないけれど。考えてみたらあの立ち位置で四半世紀プレイしてきたリチャードがすごい、ありがとう。

・27歳で死なないでくれてありがとう。早く死んで伝説になるより、長く生きて人をハッピーにすることのほうがずっとずっとすごいことだよ。

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Stay Beautiful, Beautiful Ones

かっこいいとはこういうことだと17のときに刷り込まれている。心斎橋にあったヤマハのレコ屋で買ったマニックスの2ndを祖父宅のステレオにかけたあの日からずっと、男の子どうしのキスを平気でジャケにあしらったスウェードの1stにドキドキしたあの瞬間からずっと、ジェームズ・ディーン・ブラッドフィールドとブレット・アンダーソンは俺のヒーローだ。

その二人を、90年代UKロックを代表する二組のバンドを同じステージで連続して観られるなんて、夢のようだ。今夜言えることはひとつ、生きててよかったです。ジェームズ、ブレット、バンドのみんな、ありがとう。やめないでいてくれてありがとう。

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あなたのいない世界にはあたしもいない

王将の唐揚げでしか埋まらない空腹感があるように、近所の本屋が閉店を決めたときにしか疼かない痛みというものがあるみたいだ。いつもいつも遅すぎる。Amazonよりは楽天楽天よりはリアル書店、と心がけてきた判官贔屓な自分だが、繁華街の大型書店よりは地元の本屋、とは徹底できていなかった。ほんとごめん。閉店までの2か月は、カレンダーも雑誌も新刊もここで買おう、と誓ってから考えなおす。どうせ売上貢献するなら撤退を決めた店よりもむしろ、何とかまだ頑張っているもう一軒を応援すべきかもしれない。自分の仕事も斜陽具合では他人事じゃない。少しでも買い支えていきたい。

銭湯だってそのつもりで付き合ってるが、生き延びてもらうには週何日行きゃいいんだ?

花火と傘

ようやく冬らしくなった今日、夏のことを記録しておく。

SOMPO美術館の山下清展と、渋谷ヒカリエでやっていたソール・ライター展がよかった。清が1922年、ライターが1923年の生まれで、ほぼ同い年。

少年時代からその突出した美術の才能で注目を浴び、放浪の虫が心に命ずるままに日本中を旅し続け大衆の人気者になった清。40代で早世。ファッションフォトグラファーとして成功後は一転、カラー写真が商業的、非芸術的とみなされていた時代にひたすらNYの風景を撮り続けたライター。世界的な評価を得たのは80歳を過ぎてからだったという。

貼り絵に限らずペン画でもディテール、細かなパーツの積み重ねで驚異的な全体を描き出した清の構築力と、微分するように街を見つめ、人間や車、降る雪や雨さえもが「絵になる」としか言いようのない瞬間を捉えたライターの審美眼。対照的なようでどこか共通する魅力がある。

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1995年ごろ

大学入学前の補習授業で提出したレポートに返してもらった先生のコメントを時々思い出す。自分の書いた内容は恥ずかしいので割愛するが、19歳らしい感傷や強がりを未熟な言葉で綴ったものだった。(感傷と強がり?今も同じだ)

君の言いたいことは分かるよ、という意味の文の後に、赤いボールペンの文字はこう続いた。

けれどそれだけじゃ生きられないということも私たちは知っている。君はキルケゴールの「反復」を読むといい。この文章のテーマがそこに書いてあるから。

その後、哲学の授業もいくつかはかじったけれど、結局キルケゴールは読んでいない。数年前に思い立って図書館で岩波文庫を借りてみたが、難しくてすぐに断念した。

大学の附属高校の教師だったあの人は今何しているんだろう。名前も顔も忘れたけど、言葉は残る。先生、せっかく教えてもらったのにすみません。あの本をちゃんと読めれば、それだけじゃ生きられない俺たちの疑問に答えが見つかるんですかね?