祖父はよく子どもの俺を飲み屋に連れて行った。覚えているのは近所の焼鳥屋や、「しんせかい」という名のホコリっぽい場所。1980年代半ば、あの辺はまだ正真正銘の「大人の街」だったんだと思う。賑わいやら人いきれ、くすんだ空気の非日常に心が躍る感覚をかすかに覚えている。いや、ほんとうのことを言えば、古い映画や写真に記録されたあちこちの盛り場や、昭和から21世紀にかろうじて残った立ち呑み屋の風景で上書きされて、当時の記憶がどこまで生きているのかはあやしいものだ。
しんせかいいこか、という祖父の言葉を新世界と心で書き起こし、地下鉄御堂筋線の動物園前からその界隈に通うようになってからもう随分経つけれど、あのわくわくするような街はどこに行ったんだろうといつも思っている。大阪の地下街で東京の路地裏で、湯気と灯りを大切に隠すみたいに垂れた大きな暖簾を通り過ぎるたびに、もしかしたら、と思う。